2019年10月4日

69期入江良太です
自分がブログを書く番だとすっかり忘れてました。
こんなことをわざわざ白状したのは、ブログを書く当番の日のことについてではなく、俺の1つ前の恵ちゃんのブログを読んで感じた事を書こうかなって思ったからです。
どうしてそんなことをするの?って思うかもしれませんが、こんなことをする理由は色々あって、どの理由もブログには書けないからって結論に帰結します。
だから、あえて稽古と関係無いことを徒然なるままに書いてみようと思います。
なので、演劇や劇団「曙」には興味があるけど入江良太には興味ないって人は読まなくていいと思います。

僕にとっての演劇論を語ります。
たかだか高校の文化祭と大学のサークルで数ヶ月の人間の演劇論です
内容は演劇はどこで誰が完成させるのかについてです。

僕は演劇とは観客の心の中で完成されるものだと思います。

そう考える根拠を具体例でいくつか
例えば皆さんは失恋ソングって聞きますか?
失恋ソングって恋人とラブラブな時と、実際に失恋している時とでは心への響き具合が違いませんか
目の前でアーティストが歌っていて、そのアーティストの調子が良かったり悪かったりするならまだしも、何千何万と同じ音を紡ぐCDが受け取り手の状況や心情によって捉われ方が丸っきり違うものになるんですよ。

他にも「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」って映画知ってますよね?知ってて欲しいんですけど
あれって、子供のときに観るとしんのすけや春日部防衛隊の目線に立てるんですけど、どうも成長するにつれ、大人サイドの昔を顧みる気持ちに共感できるようになったり...

評価されるものはその「もの」ではなく、評価する「者」によって決められるんですよ。
昔、あまり有名にならないまま解散したバンドの楽曲を今を生きる僕にとって、良いものと感じることもあります。
それぐらい受け取り手って大事なんですよ

そう考えると僕たち役者に出来る事ってなんなんでしょうね
どんなに自分たちの中で良いものが出来たとしても、それをどう受け取られるかによって僕たちの評価が決まる
なら、僕たちに出来ることは、出来るだけ受け取り手に寄り添うことなんじゃ無いかな

演出の理想とする物語を演技で紡ぐ
演出が理想としている形を崩さず渡す
演出が良いと思ったものを受け取り手になるべく寄り添った上で伝える
それが役者の仕事なのではないか

ぼくにとっての演劇はこんなところです
では、是非公演日に4号館地下2階練習ホール1で会いましょう

69期入江良太